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餓鬼と云うのは、あれもほしいこれもほしい、そのほしいものが手に入らない状態の事です。お経の本には餓鬼が水を飲もうとするとその水が炎になり、食べ物を口の運ぶとその食べ物が炎なってしまうと書かれています。でも八月十五日『施餓鬼会』の法要を行う事により餓鬼は水を口に含む事が出来るのです。水の功徳は広大で『清らかで』『美しく』『香ばしく』『冷たい』『口に含めば心地よく』『喉を通る時は清々しい』施餓鬼の法要を行う事によってこの日だけは餓鬼も水を口の含む事が出来るのです。他の人を思いやる心を育てはぐくむ事の大切さを仏さまは私たちに教えて下さっているのだと思います。水向供養にはそんな意味合いがあるのです。私たちもお盆を通して施餓鬼会を通して自分を見つめ直してみる事も大切なお盆の過ごし方だと思います。 弘尚 合掌